杉並区で起業・副業している人たちに聴く「あなたの起業・副業ストーリー」|起業前・副業前のキャリアを教えて!前職は何をしていたの?
- factoria
- 4月8日
- 読了時間: 4分
更新日:2 日前
factoria新聞の肝入り企画である、杉並区で起業・副業している人たちに聴く「あなたの起業・副業ストーリー」
杉並区で起業・副業している人たちに、(ココ大事!→)本当のところの、実際の、生の、本音の起業・副業ストーリーについて、factoria佐藤が根掘り葉掘りとお話しを伺う企画です。
第一回目となる今回は、杉並区で起業・副業をしている4名の方々にお話を伺いました。
【話し手】
長谷川えみりさん
コンサート手話通訳、CSLI株式会社代表取締役
小林ヨーコさん
NPO法人まちのおやこテーブル代表、会社勤務とのパラレルワーク中
田邊泰大さん
ブランディングデザイナー、株式会社ふうけい代表取締役
宗像かほりさん
産業保健師、CO-WELLアシスト代表
【聴き手】
佐藤仁美
factoria代表、HAM株式会社代表取締役
起業前・副業前のキャリアを教えて!前職は何をしていたの?
佐藤)皆さんの起業前のキャリアを教えていただけますか?
長谷川)元々、私は聴覚障害者の子供として生まれ育ち、手話と日本語のバイリンガル環境で育ちました。
手話通訳派遣の経験を通して、地域における手話通訳派遣の限界を感じて悩みを抱えていたと同時に、子育てと仕事の両立も大変で、目まぐるしい日々を送っていたんです。
転職と同時に手話通訳派遣を辞めたいと思って、東京へ引っ越してきたのですが、すぐに東京ドームで聴覚障害者団体と出会い、2013年にコンサートを楽しむ聴覚障害者のために専門の手話通訳が必要だと感じて活動をスタートさせました。
起業前は、一般事務の仕事と子育てをしながら、コンサート手話通訳として10年以上実績を積んでいたという感じですね。
小林)私の場合は国連職員を目指して国内の国連事務所で働きながら留学費用を溜めて最低資格である修士号取得のため渡米しました。
でも、留学先で考え方が変わって、多国籍企業の税務調査対応をするタックスアドバイザーになりました。
その後、社会を変える仕事がしたいと思っていたので、今の会社に転職し、政策立案や社会課題に関わる仕事ができるようになりました。
しかし、現場で起こっている生活者実感や課題をリアルに感じたいという思いを薄々抱えていたところに、子どもが生まれました。
子育てと仕事の両立の大変さを実感し、子育てを通して社会課題の当事者となったんです。実はそれがきっかけで今のNPOの前身である任意団体を設立しました。
当事者として活動しながら、社会全体を見据え、政策にも関われるようになりました。
私にとっては本業と副業のパラレルワークがちょうどいいバランスだと感じています。
田邊)私は多摩美術大学でデザインを学んでいましたが、当時流行っていたショートフィルムにハマり、卒業後、映像制作会社に入社しました。
そこでは企業のブランドムービーや新卒採用ビデオなどを企画から撮影、編集まで一貫して制作していました。
3年間勤務した後、1年間、自主映画を制作していまして。
自己表現をしたいという思いからでしたが、インディーズで活躍するカリスマ的な方々が主催するサブカルチャー系の映像制作に携わる中で、先駆者たちがアウトローすぎて、この道は大変だと感じ、デザイン会社に転職しました。そこでNTTデータや三越などの百貨店の広告やカタログなどの制作を7年間行っていましたね。
宗像)元々は看護師として都内の大学病院の小児外科に2年間勤務していました。
手術をして退院していく子たちがほとんどだったので、この子たちが学校へ復帰する時、病気のことを知っている保健室の先生がいたら安心して学校生活が遅れるのではないか?と思い保健室の先生になろうと東京都立公衆衛生看護専門学校保健学科に進学しました。
そこで、養護教諭の免許と(ついでに)保健師の免許を取得しました。
免許は取ったものの教員採用試験に落ちてしまい、社会人経験を積むのも悪くないと考え、学校に求人が来ていた企業の保健師として就職し、鉄鋼、情報、電気、製薬業の4社にて産業保健師として従事していました。
続編は、先輩起業家から学ぶ「賢い起業の仕方」をテーマに、お話を伺います!
※本記事の内容、肩書きなどは公開時点(2025年4月)のものです
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